雪の温度
あんたとおれ、二人の間に降るこの雪は、あの時一緒に見たあの雪と、同じものなんだろうか。
「今日も冷えますね、陛下。」
回廊の外、闇夜に変わりつつある空を横目に、二人きりで紡がれる会話。
私室へと足早に進みながらも、それは途切れることなく続いてゆく。
かけられた言葉に反応するようにしてコンラッドの視線を追うと、なるほど、吐く息が白い。
「ホントにな。それから陛下って呼ぶなよ、名付け親。」
「そうでした。つい。」
この会話も、日々幾度となく繰り返されたもので。
もういつもの決まり文句のようになってしまっている。
なんだかそれも、少し悲しいことだけれど。
「まったく、いつになったら直るんだか。」
少し呆れを含んだようにしてそう言ってやると、いつも通りに、きっとあんたは。
「すみません、ユーリ。」
ほら、笑った。
銀の光を散らした眼を細め、穏やかな顔をして。
本当に嬉しそうに、おれの名前を呼ぶんだ。
何がそんなに嬉しいのか、おれにはわからないけど。
理由なんてどうでもいい、そう思える。
コンラッドが幸せそうに笑って、おれもちゃんと名前を呼んでもらえて。
どちらにとってもいいことだから、理由なんて、知らなくていい。
「それにしてもホント今日は寒いなぁ。雪でも降るんじゃないか?」
「あぁ、そうかもしれません。
そうなると、陛下にとっては眞魔国で見る、最初の雪になりますね。」
「そういや、そうだな。
うわー楽しみ! こっちでも雪は白いものなのか?」
「えぇ。そちらの雪と、何ら変わりありませんよ。」
何気ない会話を続けながら、少し見上げるようにして見るコンラッドの顔は、優しい。
「積もるといいな。そしたら、みんなで雪合戦やるぞ!」
「それは楽しみですね。
あぁ、そうこう言っているうちに、どうやら降ってきたようですよ。」
ほら、と伸ばされた指を追って視線を向けた先には、ちらちらと光る白。
「うわっ。すげぇ!やった雪だぞ、コンラッド!」
両手を外へと伸ばし、器のようにして雪を捕まえようと試みる。
子どものようにはしゃぐ自分の様子に、後ろからクスリと、護衛役が小さな笑みを漏らしたのがわかった。
「ユーリ、あまり身を乗り出すと危ないですよ。
それに風邪でもひかれたら大変です。」
そっと、囁くように聞こえてきた言葉に、ふわりと抱きしめられたような温かさ。
実際、コンラッドの両腕はおれの腰の前で交差していたわけだから、その感覚は正しいのだけれど。
「な、何やってんだよコンラッド!誰かに見られたらどうするんだ!?」
「大丈夫。誰も来ませんよ。」
狼狽し、慌てた様子の自分に対し、その元凶である男は至って平静。
それどころか、自分の髪に顔を埋めて、くつろぐ様子さえ窺える。
背中の服越しにじんわりと、ほのかに、けれども確かな体温が伝わってきた。
それは、自分がこの眞魔国に来てからというもの、随分と慣れ親しんだもので。
心地よいその体温を感じるたび、いつも見守ってくれてる、そんな気がして。
この場所に来た最初のころも、この温かさがひどく自分を安心させてくれた。
「手、冷たくなってしまいましたね。」
気がつくと、外へと伸ばしていた手は、すっぽりとコンラッドの手に包まれている。
どうやら心地よい温度に気をとられ、少しぼぅっとしてしまっていたらしい。
冷たくなってしまっていた手に、ゆっくりと、暖かなものが伝わってきた。
「こらこらこら! こういうことは女の子にするもんだろ!」
自分より頭一つ分高い位置にあるコンラッドの顔を仰ぎ見ながら、照れ隠しにと抗議の声を上げる。
どうやらそれが照れ隠しだということは、コンラッドにはすっかりばれてしまっているらしく、
にこやかな微笑で返されることになった。
「俺は貴方にしたいんです、ユーリ。」
いったいこれで、何人の女の子が腰砕けにされたんだろう、そんなとろけるような笑顔を浮かべる男に対し、
ただの男子高校生である自分が取れる、唯一の対抗手段はというと、耳まで赤く染まった顔を背ける以外他にはないわけで。
「・・・少しだけだからなっ!!」
ぶっきらぼうに言い放つよう語気を強めて、けれども、小声で怒鳴ることは忘れずに。
そんな自分が可笑しいのか、それともその言葉に満足したのか。
視線は前へと向けたままだけれど、ひらひら舞い散る雪と共に、後ろにいるはずのコンラッドの嬉しそうな笑顔が、瞼に焼きついた。
そうだ、これが自分がこの世界に来て見た、最初の雪。
天を仰ぐように顔を上げ、降り注ぐ雪を見ていた有利の頬に触れた雪が、その姿を水へと変えてゆく。
頬に触れたそのあまりの冷たさに、思わず瞼を閉じた。
あの時感じた雪の温度は、あんなにも温かかったのに、今は、こんなにも冷たい。
雪の温度って、見る場所によって変わったりするのかな、そんなことを考えながら、
やけにゆっくり開いた瞳に飛び込んでくるのは、あの時と同じ白。
その後も何度か、こちらの雪は目にしたはずなのに、よりにもよって次に思い出したのは、
自分の世界が凍った、そんな風に感じられたあの日の雪。
見慣れぬ軍服に身を包み、シマロンという意外な場所で再会したコンラッドの、あの切ない顔。
消えそうなくらい小さな声で、まるで震えているかのように響いてきた、懐かしい、あの。
「陛下。」
いつもと同じ「陛下。」という聞きなれたはずの言葉に、いつもとは違う響きを感じた。
最初に会ったころと全然変わらない、いつものコンラッドの声のはずなのに。
何度も何度も繰り返した、いつもの決まり文句の一部のはずなのに。
どうしてもあの時と、初めて一緒に雪を見たときと、同じ言葉に聞こえなかったんだ。
だって、シマロンで見たコンラッドと、あの時ここに、おれの隣にいたコンラッドと、
同じ顔をしているはずなのに、浮かんでいる表情が全く違う。
なんだってあんな悲しそうな、辛そうな、苦しそうな、切なそうな。
それでいて、何かを決意したような。
そんな顔をしてるんだ。
視界が雪と、じわりと眼ににじんだ何かでぼやけるけど、どうしてかな、あんたの顔は、眼を閉じていたってはっきりとわかるんだ。
「コンラッド・・・。」
低く、小さく漏れた声。
あの時の距離なら届いただろうけど、遠く離れた今この場所からでは、きっとあんたには届かない。
力なく開いていた手を、ぎゅっと固く握り締めた。
そうしないと、思わず伸ばしてしまいそうになる衝動を、押さえきれないと思ったから。
あの時とは違って今はもう、冷えたこの手を握り返してくれる人は、そばにはいない。
何だってそんな泣きそうな顔して、「陛下。」って呼ぶんだ?
「陛下って呼ぶなよ、名付け親。」って、いつものように返せば、あんたは笑ってくれるのか?
そうでないだろうことは、コンラッドの眼を見ればすぐにわかった。
まるで今にも泣き出しそうに揺らいでいるくせに、瞳の奥には強い光。
あの日々が、ずっと続くと思っていたのに。
あの距離に、いつもいてくれると思っていたのに。
今は、こんなにも遠い。
おれが見たいのは、あんたのそんな顔じゃなくって、嬉しそうに、幸せそうに、笑った顔なんだよコンラッド。
こっちの雪が、こんなに冷たいだなんて、思ってもみなかった。
コンユ小説第一弾。
ユーリは今まで、コンラッドが側にいるのを当たり前のことだと思ってたんじゃないかな。
いつも側にいて、どんなときでも助けれくれた彼だから。
何気に一番彼を甘やかしてきた男だから。
失って初めて、その大きさに気づくものもある。
2005.12.12